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2020-08-20

第12回:IT技術者としてのルーツ

こんにちは。宮元です。

前回と話が前後します。
したくて仕方がなかったことができた最終学年も半年が過ぎ、就職の二文字が気になり始めたのですが、もうコンピューター関連の仕事しか考えられませんでした。できれば、ハードウエアもソフトウエアもやってみたいと考えていた時に、その頃この世界では超有名だった外資系の会社の求人票が目に留まりました。採用試験を受けましたが、あえなく撃沈。そうですよね。一般的にいう勉強はほとんどしていなかったですからね。妙に納得できた結果でした。
今は大学でも丁寧な進路指導がされているのでしょうか。私のころは、求人票が掲示板に張り出されるだけでした。少なくとも私は就職について誰にも相談した記憶がありません。ただ、両親には「東京に行きたい。」とだけ言いました。

身の程知らずだと知った私は、就職情報誌で東京の小さなソフトウエア会社を見つけました。行ってみると、その会社は従業員30人、4階建てのビルの2階と3階を借りていました。最上階はビルオーナーの住まい、1階が飲み屋さんでした。(でもこの会社、10年後には新宿西口公園の隣の高層ビルに入居できるまでに成長したんですよ。)
今度はその場で採用内定をもらって、意気揚々と東京から戻ってきました。

笑わないでください。会社が大きいと小さいとか、従業員数が多いとか少ないとか、給料が高いとか低いとか、休みが多いとか少ないとか、そんなことまったく考えませんでした。同級生の中には、誰でも知っているような大会社に就職した人が何人もいました。でも私は「これでコンピューター関連の仕事ができる。」 それだけでした。

大学の電子計算機研究会では、本当にいい先輩方に出会えました。いい環境の中に身を置くことができました。いつでも何時間でも自由にコンピューターが使える環境なんて当時は考えられなかったのです。パーソナルコンピューター(PC)と言いますが、まさにこれは、自分が好きなときに好きなだけ使えるパーソナルなコンピューターだからです。

話が逸れそうになりました。中学校の担任の一言で普通科高校・大学に進み、そこでの勉強に絶望しそうになったところ、電子計算機研究会の顧問や先輩、マイクロプロセッサーで希望をつなぎとめることができました。私がいただいてきた給料の対価としての仕事のルーツはここにあります。本当に「感謝」です。
同窓会に寄付しようかなと思うようになったのも、こういう意識が強くなったからだと思います。

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